• Philosopher LVN

知る苦悩に向き合って(哲学書簡1:1)

 藤春先生、初めまして。私は湊さくらと申します。初めてお手紙を差し上げます失礼をお許し下さい。どうしても、個人的に先生にご相談があります。

 今回、私が先生にお手紙を差し上げる理由は、入学して以来、様々な授業を通じて、先生方や友達から、多くのことを学ばせて頂いておりますが、正直に申し上げますと、本当に、何かが足りない、何かが欠けている、何かを失っている、何かに壊されている気がしてなりません。

 先生、本当にすみません。正直に申し上げますと、私自身、自分の言いたいことどころか、感じていることすらも、具体的に分からず、どうしても、前述のような曖昧な表現になってしまっております。何よりも、私自身、成績も未だ良くないので、出来てもいない内から、前述のような気持ちを懐くのは、やはり、小生意気でしょうか?

 ですが先生、私は悩みに悩んだ結果、やはり、自分に、このような気持ちが存在しているという事実を、否定したり、無視したりしたくありません。確りとこの気持ちを究明したいです。

 確かに、黙って言われた通りに学び習い、何も考えずに教えられた通りに聞き従い、用意された物を使っては、決定された事に応じて、敷かれている道を歩むことは、生きていく上で、特に、将来、本当に社会で生きていく上で、必要不可欠なことであると、重々理解しております。

 ですが先生、私だけかもしれませんが、「それだけ」ではないと、思わずにはいられません。私の気持ちは、疑問や不満、好奇心や不安感等で一杯です。

 確かに、自分の気持ちから、遠ざかったり、避けたり、逃げたりする方が、遥かに楽であると、私も思います。周りのほとんど全員がそうしています。ただでさえ、苦しんでいる上に、さらに、その苦しみを知る故の「苦しみ」も抱えなければならない、そんな状態を、普通の人なら、ありとあらゆる方法を使って避けようとすることでしょう。ですが、どうやら私は変わり者で、そんな状態から逃げるのではなく、そんな状態を究明したいと思う者であるようです。

 先生、ご多忙のところ恐れ入りますが、ご指導の程、宜しくお願い申し上げます。

湊 さくら

 湊さくらさん、初めまして。私は藤春啓介と申します。以後、宜しくお願いします。

 まず初めに、湊さん、私は大変驚いております。そして、私は大変嬉しく思っております。このような苦悩を抱えている上に、それを真正面から真剣に向き合おうと一生懸命に努め励んでいる生徒がおり、そして、そのような悩みを相談されるなんて、教師としてはこの上ない幸せです。湊さん、私に相談して下ったことに、深謝を申し上げますね。

 さて湊さん、私も教師として、常日頃から悩んでいます。「学習者」である生徒の皆さんと、「教育者」である自分の関係と、その活動内容について、悩んでいます。悩みの焦点は、「『知識』という存在がどう存在しており、そしてそれをどう存在させていくのか?」ということです。

 思うに、まず真っ先に、「知識」と言う存在(・・)自体(・・)に興味や関心を懐くこと、これが、学習者と教育者の両者の起点であり、そして重要不可欠な喜楽です。これを、「哲学」と言っても良いでしょう。

 次に、知識がどう存在しているのかを解明すること、これが、特に教育者が行うべきことであり、そして「知識の知識」の獲得です。

 そして、知識をどう存在させていくのかを、思考並びに実践すること、これが、特に学習者が行うべきことであり、そして「知識の発展的な創造」です。

 ですが、多忙や激務に、形式主義や拝金主義、学歴至上主義や利己的な実用主義等で、「知識」と言う存在自体に興味や関心が失われて、知識の存在の有様を解明することなく、社会性や実用性等に束縛されたり、隷属した状態で、量や形式は好ましいが、質や内容は悪い教育ばかりを実施してしまい、そして最終的には、実用主義、つまり、知識をどのように実用していくのか、ということですらも、分からなくなっていき、こうして、多忙や激務に、形式主義や拝金主義、学歴至上主義や利己的な実用主義に歯止めが効かなくなっていき、その先は、「歯止め」即ち「知識」でさえも無くなって、「欲」が暴走し、こうして、暴力や犯罪に戦争等が勃発するのです。

 湊さんは「哲学」を行い始めたばかりです。その行いを続けていけば、やがて喜びや楽しさを得られることでしょう。ですが、それまでに数多くの苦悩に向き合うことになりますが、私と一緒に「悩み」つまり「学び」ませんか?

藤春 啓介

Free-PhotosによるPixabayからの画像

34回の閲覧0件のコメント